マルテンサイト系ステンレスは、鉄を主成分として炭素やクロム(Cr)を添加した金属材料です。その名前の由来となる「マルテンサイト結晶」は、鋼を高温から急冷することで形成される特殊な結晶構造を指します。この結晶構造は体心立方格子(BCC)から体心正方格子(BCT)へと変化することで生じ、高い硬度と強度を実現しています。
マルテンサイト系ステンレスの最大の特徴は、熱処理(焼入れ・焼戻し)によって硬度や強度を調整できる点にあります。クロム含有量は一般的に12~18%程度で、これにより一定の耐食性を確保しています。また、炭素含有量は0.1~0.4%と比較的高く、この炭素がマルテンサイト変態を促進し、高硬度を実現する鍵となっています。
マルテンサイト結晶構造の形成過程は以下のとおりです。
この結晶構造の特性により、マルテンサイト系ステンレスは磁性を持ち、磁石に反応するという特徴も備えています。これはオーステナイト系ステンレスとの大きな違いの一つです。
マルテンサイト系ステンレスは、JIS規格(日本産業規格)によって様々な種類に分類されています。以下に主要なマルテンサイト系ステンレスの種類と成分を一覧表で示します。
JIS記号 | C(%) | Si(%) | Mn(%) | P(%) | S(%) | Ni(%) | Cr(%) | Mo(%) | その他 |
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SUS403 | ≤0.15 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 11.50~13.00 | - | ||
SUS410 | ≤0.15 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 11.50~13.50 | - | ||
SUS410L | ≤0.03 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 11.50~13.50 | - | ||
SUS416 | ≤0.15 | ≤1.00 | ≤1.25 | ≤0.040 | ≤0.150 | - | 12.00~14.00 | - | |
SUS420J1 | 0.16~0.25 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 12.00~14.00 | - | ||
SUS420J2 | 0.26~0.40 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 12.00~14.00 | - | ||
SUS420F | ≥0.15 | ≤1.00 | ≤1.25 | ≤0.060 | ≤0.150 | - | 12.00~14.00 | - | |
SUS431 | ≤0.20 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | 1.50~2.50 | 15.00~17.00 | - | ||
SUS440A | 0.60~0.75 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 16.00~18.00 | 0.75~1.25 | - | |
SUS440B | 0.75~0.95 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 16.00~18.00 | 0.75~1.25 | - | |
SUS440C | 0.95~1.20 | ≤1.00 | ≤0.040 | ≤0.030 | - | 16.00~18.00 | 0.75~1.25 | - | |
SUS440F | ≥0.95 | ≤1.00 | ≤1.25 | ≤0.060 | ≤0.150 | - | 16.00~18.00 | 0.75~1.25 | - |
各グレードの特徴を簡単に解説します。
マルテンサイト系ステンレスは、その特有の結晶構造により、独特の物理的・機械的特性を持っています。これらの特性は、製品設計や材料選定において重要な判断材料となります。
物理的特性
マルテンサイト系ステンレスの主な物理的特性は以下のとおりです。
特に熱伝導率が低いという特性は、熱処理時や溶接時に注意が必要です。急激な温度変化により内部応力が生じやすく、割れの原因となることがあります。
機械的特性
マルテンサイト系ステンレスの機械的特性は、熱処理条件によって大きく変化します。代表的な機械的特性は以下のとおりです。
これらの特性は、炭素含有量や熱処理条件によって大きく変わります。例えば、SUS440Cは炭素含有量が高いため、適切な熱処理を施すことでHRC 58~62の非常に高い硬度を得ることができます。
耐食性
マルテンサイト系ステンレスの耐食性は、オーステナイト系やフェライト系と比較すると劣りますが、一般的な鉄鋼材料よりは優れています。主な耐食性の特徴は以下のとおりです。
耐食性を向上させるためには、表面処理(パッシベーション処理など)を施すことが効果的です。
マルテンサイト系ステンレスは、その高硬度と耐摩耗性を活かして、様々な産業分野で幅広く使用されています。主な用途と適用事例を紹介します。
工具・刃物分野
マルテンサイト系ステンレスの中でも特に炭素含有量の多いSUS420J2やSUS440Cは、高い硬度と耐摩耗性を活かして、以下のような工具や刃物に使用されています。
特にSUS440Cは、高級包丁や精密カッターに使用され、切れ味の持続性と耐食性のバランスが評価されています。
機械部品分野
耐摩耗性と強度を活かして、以下のような機械部品に広く使用されています。
特に回転部品や摺動部品など、摩耗が問題となる箇所に多く使用されています。
自動車・航空機分野
耐食性と強度のバランスが求められる自動車や航空機の部品にも使用されています。
特に高温環境下で使用される部品には、耐熱性と強度を兼ね備えたマルテンサイト系ステンレスが選ばれることが多いです。
医療・食品機器分野
一定の耐食性と高い強度・硬度を活かして、以下のような用途にも使用されています。
これらの分野では、耐食性と衛生面が重視されるため、適切な表面処理が施されることが多いです。
スポーツ・レジャー用品
耐久性と美観を兼ね備えた特性を活かして、以下のような用途にも使用されています。
特に屋外で使用される製品には、耐食性と強度のバランスが取れたマルテンサイト系ステンレスが選ばれることが多いです。
マルテンサイト系ステンレスの性能を最大限に引き出すためには、適切な熱処理と加工技術が不可欠です。ここでは、マルテンサイト系ステンレスの熱処理方法と加工におけるポイントを解説します。
熱処理プロセス
マルテンサイト系ステンレスの熱処理は、主に以下の3つのプロセスから構成されます。
特に焼戻し温度は最終的な機械的特性に大きく影響します。低温焼戻し(150~250℃)では高い硬度を維持しつつ靭性をわずかに向上させ、高温焼戻し(500~650℃)では硬度は低下するものの靭性が大幅に向上します。
加工技術のポイント
マルテンサイト系ステンレスの加工には、以下のようなポイントがあります。